2011年12月14日水曜日

ASIAN KUNG-FU GENERATION  オールドスクール 歌詞分析 その1










①オールドスクールの歌詞


さーびーたーかーおーいーろーでー ひーびーをーなーげーーけば
ひーろーがーるーきょーりーだーけー なーがーめーてーはーーるかー

かたくとざした どあの おくでずっと からまって
うすぐらい へやの はしでじっと うずくまって
くもりはじめた まどの かぎにそっと てをのばして
とびだせば そこに げんじつのせかいがきみをまってるからー

たーびーじーのーおーわーりーをー しーずーかーにーまーーつか
ほーこーりーにーまーみーれーたー きーぼーうーのーあーーりかをーさがす

 せんろをこえたむこうには
ふるいこうじょうにつづくかんせんどうろ
とおくはいいろのうみの
そのさきのふうけいとせつぞくするそうぞうをー

 かたくとざした どあの おくでずっと からまって
うすぐらい へやの はしでじっと うずくまって
くもりはじめた まどの かぎにそっと てをのばして
とびだせば そこに げんじつのせかいがきみをまってるからー






②まとまりごとに分ける


さーびーたーかーおーいーろーでー ひーびーをーなーげーーけば
ひーろーがーるーきょーりーだーけー なーがーめーてーはーーるかー

かたくとざした どあの おくでずっと からまって
うすぐらい へやの はしでじっと うずくまって
くもりはじめた まどの かぎにそっと てをのばして
とびだせば そこに げんじつのせかいがきみをまってるからー

たーびーじーのーおーわーりーをー しーずーかーにーまーーつか
ほーこーりーにーまーみーれーたー きーぼーうーのーあーーりかをーさがす

 せんろをこえたむこうには
ふるいこうじょうにつづくかんせんどうろ
とおくはいいろのうみの
そのさきのふうけいとせつぞくするそうぞうをー

 かたくとざした どあの おくでずっと からまって
うすぐらい へやの はしでじっと うずくまって
くもりはじめた まどの かぎにそっと てをのばして
とびだせば そこに げんじつのせかいがきみをまってるからー



③間を詰める



さーびーたーかーおーいーろーでーひーびーをーなーげーーけばひーろーがーるーきょーりーだーけーなーがーめーてーはーーるかーかたくとざしたどあのおくでずっとからまってうすぐらいへやのはしでじっとうずくまってくもりはじめたまどのかぎにそっとてをのばしてとびだせばそこにげんじつのせかいがきみをまってるからーたーびーじーのーおーわーりーをーしーずーかーにーまーーつかほーこーりーにーまーみーれーたーきーぼーうーのーあーーりかをーさがすせんろをこえたむこうにはふるいこうじょうにつづくかんせんどうろとおくはいいろのうみのそのさきのふうけいとせつぞくするそうぞうをーかたくとざしたどあのおくでずっとからまってうすぐらいへやのはしでじっとうずくまってくもりはじめたまどのかぎにそっとてをのばしてとびだせばそこにげんじつのせかいがきみをまってるからー





④色だけにする












⑤順番


















⑥色ごとの曲調



→ロッキングチェアに座ってなにかを考えているような曲調


→激しく踊っているような曲調


→google mapを見て情景を思い浮かべているような曲調



















⑦上記⑤と⑥を併せて考える






ロッキングチェアに座ってなんか考える→激しく踊る→ロッキングチェアに座ってなんか考える→google mapを見て情景を思い浮かべる→激しく踊る→ロッキングチェアに座ってなんか考る









⑧つまり















                           ↓




                            ↓































⑨まとめ

部屋であれこれ考えてる人の歌である
外出しないところから考えると、夜か、もしくは引きこもりなのであろう




⑩感想

非常にまとまりの良い曲である
まるでランチパックのようであり、持ち運びに便利な形状をした曲である、といえよう






















!!!!




2011年10月19日水曜日

炭焼きの歌

民族・伝承・職人つながりで


火曜3講目は「生命の科学」だ。

机上で理論を学ぶというより、実物から観察して洞察を得ようという講義であり、3度に1度は教室を飛び出し、植物の「実物」を手にとって観察する。


先導する北元先生について今出川キャンパスを、はたまた御所を歩いて巡っていき、あらかじめ先生が目星をつけておいた植物を目の前にしてあーだこーだの説明を聞くというという、まっことアウトドアな授業だ。


今日は「対生」をテーマに御所でたくさんの植物を観察した。


一番に出会った植物は「ウバメガシ」であった。

同志社大学今出川キャンパスの南西角の横断歩道を渡ったところ、御所の北西の一角で、十数人の生徒が先生を囲んで解説に耳をすませる。目ではウバメガシを見たり、かわいい子を見たり、通行人を見たりしている。


北元先生は初老の割にはがっちりした体格をしている。白髪である。いつも同じ服装である。山吹色のシャツに深緑のチョッキといういでたちである。

真上からみれば一粒の白ゴマを囲む十数粒の黒ゴマという格好になっている。まあそんなことはどうでもヨシ

「ウバメガシ」は葉が厚く堅いので常緑樹であり、葉が平らに広がっているので広葉樹である。どうやら御所をぐるっと取り囲む生け垣のどこでも見られるようだ。


先生は説明する。

「この樹は加工するとお金になるから、色んなところに植えられてます」

「和歌山が有名ですが、この間の、私は記憶が悪いから何号だったかは忘れましたが、台風で、ダメになって非常に被害が出ました」

「加工して何になるでしょう…」
一同(???)
「実は、備長炭になるんです。紀州備長炭というのが有名ですね。備長炭と言えば何につかえるでしょう?君ならわかるでしょ」

俺「冷蔵庫とかに入れといて、消臭?脱臭?とかですか」

「ん~と消臭?ん~備長炭だからね~」

北元先生が望んでた答えじゃなかった場合高い確率で返答はうやむやにされるのだが、案の定うやむやにされて、

「汚い水をこれに通すと?」
一同「あー」
「きれいになるんですね。浄水の効果があります。ほかには」


今度は違う男の子が指され「君の家でバーベキューやったときに使ってたよね」
「いやあ~?」
「備長炭を使えば、おいしいバーベキューができるんです」


とりあえず、ウバメガシは備長炭の原料として有名らしい。

しかし、どうやってウバメガシから備長炭を作るのか?
そもそも、炭ってどうやって作るのか?
オクノに聞いてみると「わかんないですけど、木を焼くんじゃないですか?焼いた窯から取り出した木の幹ってかなりちぢまるんですよ」という。




ということは、ウバメガシを窯に入れて焼いてちぢこまったものが備長炭なんだろうか?


しかししかし、木なんだから焼いたら灰になってしまうんじゃないのだろうか??


ウバメガシの形とオクノの話と備長炭の形だけで作り方を想像するにはイマジネーションが足りなかったのでその場はあきらめたのだが、家に帰って調べてみたのでレポートします。




~~~~~~~樫(ウバメガシ)から備長炭を作る~~~~~~~



1.もちろん初めは原木の採集から始める。このとき不必要な枝は切り落とす。




2.「木ごしらえ」をする。

(「木ごしらえ」とは、窯のスペースを無駄なく利用するための下ごしらえである。自然に生えたウバメガシの幹は曲がっているので、ところどころに切れ目をいれ、そこに握りこぶし大の木片をかませることでまっすぐの状態に矯正する。まっすぐにすることで窯にびっしり入れられるようになる。)

(ちょっと説明とは関係ないけど。下の炭焼き職人のブログにわかりやすい写真あります。)


3.前日熱しておいた窯にウバメガシを入れる。(1日目)




4.窯の温度を高めるために入り口で火種となる雑木を燃やす。同時にウバメガシの水分を飛ばし乾燥させる。(2~3日目)


5.炭化させる。窯の温度が上がり水分がすべて飛んだあと、炭化が始まる。窯の温度は275℃あたりらしい。(4~6日目)

(どうして窯の中で火を出して木が燃え上がらないか、についての答え…木材の発火点は種類によって異なるものの、400~470℃だという。発火点とは、着火温度ども言われるようで、可燃物が火を出して燃え上がり始める温度のこと。)

6.精錬(ねらし、とも言うらしい)
今まではほんの空気孔程度しかなかったものを大きく拡げ空気を送り込む。こうして窯の温度を1000℃にあげる。

あれ!?

発火点を500℃以上もオーバーしている!!
もうどういうことなん。
正直挫折しそう。
眠たい。
お風呂もまだ入っていない。
ちゃんと睡眠をとらないとまた風邪ぶりかえすで?
しかしここまできたのだ、こんなところでレポートをあきらめてたまるかいな。

どうやら、樹皮や揮発成分だけが燃焼するらしい。樹木本体は一体どういった状態なんだろうか?燃えきって灰だけになったりはしないのだろうか??



このブログでは自分で炭作りに挑戦しているが、この日の日記を見てもらえばわかるように、炭になるはずだった木は炭化過程における何らかの失敗で全焼失してしまったらしい。


次のような考えはどうだろう??窯の空気穴の大きさを調整し、窯に入る酸素の量を制限することで、樹皮と揮発成分だけが燃える分だけの酸素だけを取りこむ。樹木本体は燃えることなくただただ温度だけが上昇する。
そうだそうだ、火が付くには酸素が必要なんだ。
この考え方はなかなか良い線いってるんじゃないだろうか。ただ、上記の作業6(精錬)では空気穴を大きく開ける、と書いてある。う~~、、、ん。曖昧な記述のページしか見つからなかったから、なんとも言いようがない・・・。

色々な画像を見る限りでは、木が内側からオレンジ色に点灯している、のだが…。あの状態は一体なんだ?酸素がないから点火には至らないというのが今のところ有力だが…。
こういう…




【発火点を越える1000℃の窯にあっても木が灰にならずに形を維持するのはなぜか】
今後の調査課題として保留だ。


7.窯出しと消化
6~10時間かけて窯からウバメガシを取りだす。
取り出したウバメガシは灰のベッドに寝かせ、上から消し粉と呼ばれる灰のようなものをかけて冷やす。

1000℃の窯から取り出してしまうということは、1000℃に熱されたウバメガシを酸素のなかに運び込むということなので、そんなことをしたら激しく燃え上がってしまうのではないだろうか??

下の動画を見てもらえれば、確かに火をあげて燃えているようだ。しかし、そこは迅速に消火活動をすることで灰にしてしまわないようにするのだろう。





以上。




感想
備長炭の作り方に関して以前よりもしっかりとしたイメージを持つことが出来た。しかし、木が発火してしまわない理由がいまいちはっきりしない。そこは今後の課題として調査を続けたい。
和歌山県では紀州備長炭を実際に作ることができる体験施設があるらしい。そこに行ってみたくなった。消臭効果があり、しかも叩くと良い音がするというので、備長炭を風鈴にした商品も手に入れることが出来るらしい。実に行ってみたくなってきた。



感想2
炭作りはハードだ。職人なんてすごい。不眠時間が長い、高熱での作業。炭焼き職人を目指した方のブログ。2005年の記事に「炭焼きになる」といった記事がり、2010年の記事には「元炭焼きの私には」といった記事がある。辞めてしまったのだろうか。炭焼きって単調な仕事そうやもんな。灰色、赤色、黒色、、、単調そうやね。
っていうかこの方のブログに漂う切なさはなんなんだろ……。



その他の参考URL
http://vw.wiwi.co.jp/u/tokusyu/wsePCixG8v7H9IpFWU06/
http://www.binchoukan.co.jp/newpage3.html

2011年10月11日火曜日

一日署長 風間トオル

【報告】今日の広報活動


①ドヴォルザークの顔で紙面半分占めてるみたいなチラシを1850部刷った。

新しいビラ配りのアイデアを思いついた。1000円札を上手に折り曲げて野口英世がターバンをまいてるみたいな風にするターバン野口ていうのがある。それを真似してドヴォルザークにターバンをまいたターバンドヴォルザークにして配ろうっていう。たたむのかなりめんどくさいけど。
もらったら嬉しいんじゃないかなと思った。拡げてみたら告知になっているという作戦です。

作り方は次のようになっています。




←ギター弾いてます。

 ←5フレットを代わりにおさえています。



















②北山の京都コンサートホールでピアノリサイタルを楽しんだお客さんたちを出待ちしてチラシを手渡す《出待ち柳作戦》を実行に移す。

北山の京都コンサートホールは親戚のおばちゃんが「ハコモノや、ハコモノや」って言いそうな建物だった。ロビーから音響が整っているというけた外れのコンサートホールだ。

平衡感覚を失うホール内部
無許可でゲリラ配りしようと思ったけどみんなからそれはあかんと口ぐちに言われたんで恐る恐る事務室に行って頼んでみるとあっさりOKだった。

次からも何度か配らせてもらいますと予約もできた。

条件を二つ出された。
1.屋根の向こう側で配ること。

2.配り終わったら捨てられたチラシがないか一通り周辺を見回ること。


「ほかの人らも配ったりしてるよお」と警備員さんが言ってたし、京都交響楽団の二人組が配りに来てたりもしてた。広報活動としてはよくある作戦みたいだ。
寒いなかありがとう

ノリのいいおばちゃんたちが行くよ~って言ってくれた。

一年生も慣れないは慣れない割に頑張って配ってくれました。

上回二人は流石やね。

先輩も来てくれて、一瞬ビラ配り手伝ってくれた。4~5枚配ったら記念写真頼まれてた。そっからは座って荷物番してた。

全部終わってから「ラーメン行こうぜ」って言うんで「このへん美味いとこあるん?」「あそこ」電光掲示板ピカピカしてて安定したと思ったら浮かび上がった「金ちゃん」の字。金ちゃんラーメンというらしかった。「行ったことあるの?」「来た時看板見ただけ」っていうんやけど結構おいしかったし、先輩が全てを御馳走してくれたのでさらにおいしかった。


次は10月16日(日)の14:00~。今度は事前に終了時間を聞いてから行くことにしよう。






おまけ
一日署長の風間トオルさん。今日同志社に来ていた。ちなみにデジカメ構えてるおばさんの持ってるデジカメと俺のデジカメおそろい

2011年10月5日水曜日

二千十一年十一月は愛の広報月間

ギタークラブ定期演奏会2011年11月5日(土)!!

ちょうど来月です。

そこで10月を愛の広報月間と認定します。

色々なアイデアを実行に移して行こう。


広報のアイデアと進行状況

①他団体コンサートにチラシ折り込み
⇒お願いメール出した。返事待ち有り。折り込み決定コンサートあり。ただいま折り込み要員募集中。

②Twitter作戦
⇒次期広報のHORRYに運営をお願い中。

③今日第一回就職ガイダンスがあった。終わって会場から出てきたところに待ち伏せる数人のスーツ姿の男女たち。手には日経新聞!!ガイダンスでやる気と危機感を抱いたシューカツ生を狙うとは実に理にかなっている。ついつい手に取ってしまった。
思い出したのは田村が言っていたこと。コンサートホールの前で出待ちして、演奏を聞き終わって興奮している客をつかまえてのビラ配り。
絶対効果有る!!出町柳作戦と名づけよう。
⇒10月中に開かれるコンサートの詳細を調査しよう。


つづく。
続報を待て!!

←を目指せ!

2011年10月2日日曜日

広報係新たな試み

広報係の久保は、演奏会告知の新たな試みに挑んだ。

――――――――――――――――――――――――――――――

トリニダートトバコ・ギターアンサンブル(仮名)様

突然のメール失礼します。

初めてメールを送らせていただきます。
同志社大学ギタークラブ広報係の久保と申します。
この度は第4回定期演奏会開演おめでとうございます。
演奏会の成功とますますの発展をお祈り申し上げます。


さて、私たち同志社ギタークラブは来る11月5日(土)に第51回定期演奏会を開催できる運びとなりました。
そこで、10月13日のトリニダートトバコ・ギターアンサンブル様の定期演奏会にご来場のお客様に、
私どもが作りました演奏会告知のチラシを渡していただけるようお計らいをお願い申し上げたく存じております。
当日パンフレットを配布する予定がありましたら、そちらに折り込むなどしていただけることは可能でしょうか?

もし可能でしたら、折り込み可能なチラシ枚数・チラシをお渡しする日時や場所なども御一緒にご連絡していただければ幸いです。

――――――――――――――――――――――――――――――

どう!?すごいでしょ!?

いやあ、やっぱこのくらいしないと、これまで以上のお客様にきてもらうことなんてできないね!!
ギタークラブも51周年を迎えて、新たな時代に入ったという訳ですよ!!ええ
新世界に突入していきますよ?!どこぞの海賊団じゃないですけどね!?


まー


アイデア考えたのは次期広報ですけど。
尊敬しますけど。

2011年9月26日月曜日

三千院コンサートのすべて

昨日三千院、今日老人ホームで、演奏してきた。


三千院コンサートはいかにして開かれるか??
それをここに記しておきます。

特に、三千院コンサートを司る次期ボランティア係に任命されたStone=Ricefieldには良く読んでおいてもらいたい。



すべての始まりは、スケジューリングから…なのだが、
その前に、これまで三千院コンサートに関わってきた自分なりの三千院コンサートの全体像を述べておく。

三千院コンサートとは、京都の山深くにある三千院で営んでいる料亭(旅館?)の方々が開いている屋外コンサートである。有料である。(雨天室内。)
1日2ステージ。基本的には第一部が13:00~、第2部が14:30~、それぞれ30分程度演奏する。
恵まれた豊かな自然を上手に活かした、観光客を喜ばせる手段としての音楽コンサートだ。

客席。奥の巨大な日傘の下がステージ。


「海の見える街」を弾く自分
よって三千院コンサートは、音楽やコンサートを主な仕事としているプロの人間が開いているコンサートではない。

従って、曲に関するなんやかやについては、ギタークラブの人間が自分たちでしっかり管理しなければならない。
コンサート前であれば選曲。
三千院の雰囲気にあった曲を選ぶべし。
それでいて曲のバランスも考えよう。
30分のコンサート中ずっとしっとり系ばかりでは飽きてしまうので。
具体的に言うと昨日のコンサートでは7曲中2曲は明るいアップテンポの曲だった。
しっとりのなかにも陽気さ。クラシックの中にもフラメンコ。
上手な曲構成のバランスでコンサート主催者も上機嫌だ。

コンサート当日であればステージ管理もギタークラブの仕事。
イスの位置や、マイクの位置などはすべて自分たちで整える。
マイクなどの機材はちゃんとしたものを出してくれるので、必要であれば尋ねよう。

コンサートの進行もギタークラブが決める。
曲順はどうで、曲紹介はどんなことを言って、どんな宣伝をして…というのを事前に組み立てるのもギタークラブに一任である。
コンサート進行に、MCさんとの協力は不可欠である。

MCさんとは?

ギタークラブのコンサートにだけなのかどうなのかはわからないが、
毎回演奏がすべて済んだ後「大原の伝説」を語るコーナーがある。
その語り部を務めるのがMCさんである。
MCさんは謎に包まれている。
僕がMCさんについて知っていることと言えば、
どこかのMC関係の仕事もしくはクラブに参加している人間が、
ギタークラブと同じように主催者に召集されてやってきているということだけである。
お昼御飯は謎のMCさんと同じ机を囲む。
そんなMCさんなのだが、積極的にコンサート進行を手伝ってくれようとする。
なのでそこはMCさんの好意に甘えて、司会進行を請け負ってもらおう。

三千院コンサートはMCさんのコンサート会場についての紹介から始まる。
ここはお寺のなんていう室で、どんな歴史がある、という風な。
それから本日の演奏者ギタークラブの紹介。
それが一通り済んだら演奏。
演奏も済んだら告知と「今一度拍手を!」が入り、
「大原の伝説」コーナーで締めくくる。

僕がMCさんに頼んで言ってもらったことは二つあって、
一つは曲紹介。
アンサンブルごとに作ってもらった短いMCを集めてMCさんに手渡しし、
それを演奏者入場のタイミングで毎回読みあげてもらう。あと演奏者の名前と。
もう一つは告知。
これはコンサートが夏~秋にあるので定期演奏会の告知をしてもらう。
日時・場所など。

僕たちが来る日も来る日もギターの練習をしているように、
MCさんは発声練習を欠かさない。
MCさんはその道のプロを目指している。
MCさんは優しい人が多い。
MCさんを上手に使ってコンサートを盛り上げてもらおう。


以上のことを管理しておけば大丈夫…だが、
想定外の事件が起きるかもしれないし、
コンサートを良くするための未知のアイデアが浮かぶかもしれない。是非想像力を働かせて色々と考えてほしい。


初めに全体像を記すと言っておきながらいつのまにかかなり詳細に実際の仕事の手順を書いてしまっているけど・・・このまま続けさせてもらう


そう。すべては指揮者のスケジュール調整から始まる。
定期演奏会を見据えたおおまかな日程計画は6月頃には指揮者の中で決定されている(多分)。練習日はいつで、合宿がこの1週間、リハーサルの日はこれとこれ…などなど。
それが決まってから、
「こことここの日曜日と、こことここの土曜日は三千院コンサートにアンサンブルを出せそうだな…」という風に希望日が決められる。
その希望日を主催者にメールする。


…数日してから…
(三千院コンサートは一か月に何度も開かれており、
日によって出演する団体が変わる。
各団体からの希望日を総合して日程は決定される。)

主催者側からメールが届く。
「8月14日の日曜日、28日の日曜日、9月17日の土曜日でお願いします。」
という簡単なものだ。
メールを1往復するだけで、本当に簡単に日程は決定される。
簡単だけれど現実にスケジュールは組まれ、ギタークラブが演奏するための様々な準備がとり行われる。
責任重大だ。


日程が決まった。
次は出演者を集めよう。
1週間前に声をかけて集まればそれをミラクルと呼ぶ。

1か月前、
いや2か月前、
いやいや、
今すぐに始めるのだ!!!!

「三千院に出られるような曲を練習しといてくれ」

これを折りに触れて言いまくるのだ。
ボランティア係になるということはすなわち「調子はどう?」の挨拶を捨てて、
「三千院の曲練習、なんかやってる?」を挨拶にするということを意味している。


1週間前になってやっと声をかけると言うのはギャンブルだ。
魚が生息しているかどうか不明の近所の池と、
針と糸だけ頼りに、

「腹が減ってもあそこに釣りに行けばダイジョーブ!!」

そんな命がけのギャンブルだ…。
そんなギャンブルをしていた愚かな奴を知っている。
僕だッ!!
気をつけろっ!!
人数が集まるまでひたすら気を病みつづけるはめになるぞっ!!

恐怖とは

練習が終わったあと、
「三千院コンサートあるので、誰か出てくれませんかね…」と言ったあとの沈黙…
次におまえがいうセリフは決まっている「…ハハハ(半渇きの笑い)…じゃあ、誰か出たいと言う人がいたらメールするなりしてください…」
次の行動も決まっている「…なあ、おまえ出てくれへん?」と1人1人攻めにかかるものの、返答も決まっている「いやあ…弾ける曲ないし、ごめん、……次は出たい!!」

…このQ⇒Aを片っ端から繰り返した後に残るものは傷つき果てたこころ、近づく期限、主催者からの督促のメール(恐怖郵便)のみ





これで今から徐々に参加希望者を集めていくことの大切さに少しでも気づいてもらえたと思う。
出演者が集まったら、主催者にメールを送る。
…あ、、出演者の決定方法は、

・曲の合計時間が30分程度になるように。
・アンサンブル人数は多くて4人。
・選曲のバランス大切。

これを考慮して決めてくれ。


主催者に送るメールには、
・曲名、演奏者、演奏時間
を載せる。
書いた順番でパンフレットが作成されるので、メールを送る時点で曲順はある程度決めておくように。けれどそこまでパンフレットに拘束力はないので、当日実際弾いてみた様子を見て第2部で曲順を変えるなども柔軟にやってほしい。
あと、ビジネスメールで!!おれもまだよくわかってないけど!!ビジネスメールで!!



よーし。それではいよいよ当日どのように事が運ぶのか、それについて書いていく。

当日は地下鉄国際会館駅に、基本的には11:00に集合。
特に返事もなければそれで大丈夫。不安であれば電話番号を教えるから、そこにかけてほしい。
スーツ姿で。
国際会館駅 3番出口
夏~秋にかけて参加するし、当日は野外で待機することが多いと思う。
服装は有る程度のフォーマルさが認められたらOKだから、気候に合わせて融通を効かせよう。

国際会館駅の確か3番出口だったと思うが、天国のようなエレベーターを昇ると
同志社中学のグラウンドが見える出口に出る。
そうすると反対側の歩道に寄せてバスが止められているので、それに乗りこもう。

ギターは、参加人数が少なければバス車内に持ち込める。
しかし、昨日のように10名の参加者となると、10本のギターを持ちこまなければならない。
バスは三千院に向かう一般のお客様と乗り合わせだから、それだととても窮屈になる。

昨日はもう一台送迎用のワゴンで迎えに来てくれたからなんとかなった。

実は、その前日に電話で「10名いけますか」と確認した時に、
「きついからギターは4本にしてくれ」、と言われていた。
でも普段使っているマイギターでないとMAXの演奏ができないと思われたので、
「膝の上に抱いたらなんとか行けます」、と無茶を押し通してもらっていた。

それで当日行ってみたら強面のお兄さんが(それでいて性格の優しいとってもいいお兄さん)
「イヤ、そんなの無理や。10本なんて乗るはずがない。もう一台用意したからそっちに載せてくれ。」
そんな風に言われたのだからちぢみあがったものだ。

だから、人数が多くなる時は電話で事前にそのことを伝えておこう。
そして、ワゴンを出してもらえるように説得してくれ。ここはがんばって。



さあ、三千院に向けて出発!!!



……


よし、三千院に到着!!!






控室に案内してもらったら荷物を置いて、MCさんに挨拶し、練習しよう。
MCさんと打ち合わせ。各アンサンブルからMCを集めよう。

ここで、定期演奏会の告知をしてほしいということを伝える。


やっぱりMCさんに言ってもらうだけでは効果も少ないので、
編集さんにチラシを作ってもらってお客さんの手に渡るように手配しよう。
主催者の方にチラシを渡したいと伝えれば、パンフレットと一緒にしてくれるので、それでいいでしょう。



13:00までにマイク調整等ステージ整備をすすめておいて…
いざ尋常に、開始!!


終わったらステージに並んで、一礼なりなんなりで、感謝の意を伝えよう…。





こんなかんじです。

ウマシ糧


ボランティア係は積極的に三千院コンサートに行くようにした方がいい。
行ってみないとわからないことだらけだし、
主催者と連絡を取っている人間がいたほうが何かといいし…。
弁当もうまいし。
メシ食う人々







以上です。
がんばれ!!ボランティア係!!はばたけ!!

2011年9月16日金曜日

焦げめが美味しいチーズグラタン

(この歌をBGMにして読んだらそれほど退屈しなくて済むと思います。)




本題
「郷愁のビッグベンワイヤーフレーム」
これはシャーマンキングでルドゼブが出てきた頃、何話目かの題名です。


郷愁という言葉はここで覚えました。
「図星」という言葉も同じくシャーマンキングで覚えました。


香川県での合宿が終わった次の日の朝から京都を発ち、三重県の実家に里帰りしていました。


2日間の短い帰省です。


いつもの友達と遊ぶだけのいつもどおりの帰省でした。




友達は大学でも陸上を続けています。
帰郷した2日間の両日ともに、クラブがあるせいで午後からしか遊べないということでした。


そうなると必然的に遊ぶまでの午前中、遊び終わってからの夜、ヒマになるわけです。


家でごろごろしていました。
マンガを読んだり、録画してあった番組を適当に見たりしてました。


それも疲れてきたら自転車に乗ってそこらじゅうをサイクリングです。


僕が実家の周辺をサイクリングするとき、大抵回る場所は決まっています。
実家から南西の方角の街並みが好きなので、いつもそちらの方向へ向かいます。


鈴鹿山脈におちていく太陽での夕焼けが好きなんです。
太陽が落ちていく方向に向かって自転車を走らせるんです。
そうすればおのずと顔が落日の方角を向くので、視界の上半分はきれいな夕焼け空・・・。
通っていた小学校の校庭を通ったり、良く遊んだ色々な友達の実家の前を通ったり、当時の自分にとっては未知の世界だった隣町の中学校の前を横切ったりします。


そのときはまだ授業中だったようで、暗い理科室で授業をうける生徒たちの頭が逆光ながらも窓からいくつも見えてました。
彼氏彼女たちの注意をこちらに引き寄せたくなって、大きな声を出してみたい衝動にかられましたが、考えているうちにその理科室を通り過ぎてしまったので諦めました。




この前実家に帰ってから恐らく一か月も経過していない帰省だったのですが、何故か先日の帰省は、故郷を離れてからけっこうな時間が経ったことを強く感じた帰省でした。
あの感覚です。
自分たちが中学生だった頃に幼稚園だった子たちが制服を着て中学の教室に通っているんだ…というやつです。
自分はこれから働き盛りに入っていくんだなあ、と思いました。




自転車を漕ぎながら音楽を聞きます。
曲のチョイスはどうしても昔聞いていた曲ばかりになってしまいます。
たとえばレミオロメンのetherというアルバムを頭から終りまで聞いたりしました。
この曲を聞くと、この情景が思い浮かぶ、という組み合わせって言うのがあると思います。
音楽に引っ張られて浮かび上がるそのどうしようもない記憶の映像に想いを馳せながらサイクリングです。
今になって改めて聞いてみて初めて発見するものなんてのはほんとごくわずかなもので、音楽を聞きながら考える事はそれこそ何百回も繰り返し考えたことばっかりでした。
老人のような楽しみですね。


郷愁は離れた土地から懐かしい故郷を思って切なくなることですが、故郷を思うということは、それまでの時間に起きたたくさんの出来事を思って切なくなることでもあります。
故郷に帰り、いつもと同じような夕焼けのなかを、過ぎ去った時間にいつまでも想いを馳せる、そんな行為を、がっつり楽しんでいる、そんな自分に対して、これでいいのかなっていう思いは消えません。


ふとした瞬間にじわっとしみ出してくる郷愁っていうのが、一番しっかりした郷愁の形なんだとおもいます。
ぼくみたいな郷愁にどっぷりっていうのは、なんかね~~。
メインは現在でなければいけないと思うからです。


なんでこんなに郷愁に焦がれてるんだろって考えてみました。
旅立つ人って言うのはお別れを告げるものですよね。
ぼくが今なんとなくそういう感じなのかもしれません。
学生からの旅立ちってことです。
荷造りをしてるんです。
旅先でいつでも思い出せるように、自分の過去を大切に、強く記憶に残しておこうとしてるんです。




はあ~
一体全体、海外への船出をひかえているような気分です。










この曲はbeatlesのカバーです。
"nothing is gonna change my world"
っていう歌詞をそのまま映像にしたようなPVです。


http://www.nicovideo.jp/watch/sm13305912

これで知りました。

2011年9月15日木曜日

2011年8月28日日曜日

あるメールの記録

合宿下見に行ってきました(というか今もですが…)


Tかわ Nあき


『合宿の下見(in香川県)に行ってきました。


・タオル、バスタオル、歯ブラシ、ドライヤー、シャンプー有


・最寄りのコンビニ(デイリーヤマザキ:営業時間7時~23時、おっちゃんの気分次第で閉店が早まる場合あり←)まで徒歩10分少々


・砂浜まで徒歩5分くらい。砂浜で遊びたければサンダルを持って来るとよろしいでしょう(Sたかがスイカを持って来てくれるとのこと(^0^)/)


・うどん屋は歩いて行ける場所に1つあるが、そこはあんまりわざわざ行くような場所では…by旅館の人
他は車で10分くらいのところに有名なところがあるが、中日は都合がつけば送迎で行けるかも。とてもおいしかったです←


・近くの観光場所としては映画「世界の中心で、愛をさけぶ」のロケ地が主とのこと。暇な人は予め観とくと楽しめそう。


とりあえずこんなところでしょうか。


個人的な印象としてはロケーションは抜群だと思います(^∨^)ノ


あと、練習場所も抜群に広いです。ビックリしました。いつもの比ではないです。


久しぶりに「自分、ナイス!」って思えました(笑)楽しみにしていて下さい。


他に聞きたいことがあればまた聞いてください。


あと、合宿代は早く払いましょう。』






めっちゃ楽しみ。

2011年8月13日土曜日

真面目か

僕はパートリーダーです。

みんなの練習の進み具合を把握して、演奏会までに満足のいく演奏ができるようにしないといけない。


僕はみんなよりギターがうまいからパートリーダーになっているわけではない。

3年生だからだ。

うまいわけではない、特別知識が豊富なわけでもない。

そんな人間がパートリーダーになったらどうなるか?

A.いっぱいいっぱいになる。

今は他のものをほとんど何も持つことができない。

ほんのちょっとの隙間もアンサンブルの練習が入りこんで塞いでしまう。

だから今はとにかくパートリーダーとしての仕事に専念する。

それがもっとも難しくて、大事な仕事だからだ。

選択と集中―。

整理がついてきたらもう少し隙間も広がると思う。

2011年8月4日木曜日

久保の夢は夜ひらく

 「彼女欲しいなあ。浴衣で花火大会デートができたのなら、もはやこの夏休みに思い残すことは何も無い…。


 花火大会。そういえばおれ花火大会って一回しか行ったことないな。ぼんやり覚えてる…。中学生のときに行った四日市港の花火大会。海からあがった花火がドーン!!!……感動。巨大花火の爆音って大気を揺らすよな。まるで列車のようにこちらに向けて迫ってくる。花火のでかさと爆音には魂が震えるぜ。そんな花火には何かしら「薬効」みたいなものがあると思う。まだ名前もついていない何かしらの「効き目」があるに違いない。花火の中心から何キロメートル以内の人にだけ現れる効果。まだ誰にも立証されていない花火と人体の相互関係みたいなのが、絶対にあるとおれは踏んでいる。だって花火だぜ?火薬をぎゅうぎゅうに詰め込んだ玉を炸裂させてるんだからな。果汁100%の果汁みたいな火花が四方八方にはじけ飛ぶ。それが巨大な花をつくって、夜空で一度きりの明滅。太古の太陽神もびっくりだぜ。感動が「薬効」なのかもしれんな。花火っていいよなあ。


 花火かあ。曇りの日の花火なら、たちこめた雲の下腹を照らす。おれは雲を人工の灯りが照らしていることに興奮する。祈りが届いてもおかしくないんじゃないかって思わせる光景。雲だって水蒸気のかたまりで、実体があるんだなあ、と改めて気づかせてくれる光景。風景から実体へのシフトチェンジが脳内で行われるといいますか…。LLサイズの巨人が運動場を足場にジャンプして雲をちぎりとる光景が浮かぶような光景。花火はほんとうに面白い。近くで見たことは少ないが、そんな花火が大好きだ。そんな記憶のなかのあの日の花火にただ願う…。
花火よ!!
好きな女の子と花火大会デートがしたいぞ!!!と…。


 花火大会。暖かい屋台もいっぱい出てたりするよな。「リンゴ飴」っての食べたことないから今度食べてみよう。あぁ。彼女欲しいなあ。大好きな彼女の浴衣姿なんて一目で悶絶しちまいそうだ。待ち合わせ場所は出町柳駅だな。鴨川沿いの出町柳駅。夕暮れの出町柳駅…。『あゝ慕情 出町柳の タクシーランプの灯る頃』。人混みのJRに乗ってうれし恥ずかし初デート。…言ってるだけでこみあげてくるこの気持ちはなんなんだ。この気持ちをどうすればいいんだ…。


 あぁ、恋しいひととの花火大会デートとはいかなるものか。キャリコ琉金みたいな浴衣を着て、リンゴ飴とうちわをもって、赤い鼻緒の下駄を履いた、恋しい娘さんと、花火の下を並んで歩いて…。


あぁ…!!


…あふれ出る!!


…あふれ出るこの気持ち!!



あぁ…!!








!!!

今宵もどこかで炸裂しているおおきな花火よ!!
おおきな花火にこそ願う!!おおきな花火よ聞いてくれ!!
網膜に焼きつかせたいひとがいる!!
浴衣のそでからのびた手に手を重ねたいひとがいる!!
おおきな花火よ聞いてくれ!!
結った長い髪!!襟元の白い素肌!!調えた眉とやさしいひたい!!
苦しいほどのたのしみ!!
苦しいほどのたのしみ!
苦しいほどのたのしみ…。


苦しいほどのたのしみ、


おれだけに教えてくれる秘密のささやき。


しずかなる花火よ!!




花火、花火よ!!
そなたはなんぞや!!
夜空に眠る太陽の知らぬところで降り注ぐ夢!!
人とお月様だけの祭りの主催者!!
二人の恋を激写するフライデーが捉えた一部始終……そなたはカメラのフラッシュ!!
花火よ!!
ここに一人、脳内デートにうつつを抜かすあほがいる!!
おれがそれだ!!
花火よ!!
大きな声でぼくのことを恋しい人に紹介してくれ!!
おれはあなたの虜になっております、と!!おれは久保です、と!!
大太鼓を力いっぱい叩きつけるバチが震わせるおれたちの魂!!
どうか花火よ!!
ほんものの光をおれにくれ!!
ひと夏の恋をおれにくれ…


短い一生、
短いひととせ、
短い夏の、
まばたき程度の刹那の夜に…


恋しい娘と金魚すくい。




ドォーン!!大輪の花火よ!! 
























ドオン!!

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… http://dokoaa.com/event/hanabi.html
…から頂きました。

2011年8月1日月曜日

燃える太陽

いま私ができることは、文章にして今自分がいる状況を記録しておくことだけのように思われる。しかし、記録なんていうのは過去を振り返る行為であって、それは生産にはほどとおい行為であるように思われる。
こんな4コマがクラブの部室のマンガにあった。



ある社員Aさんは「わが社に歴史を刻んでくれ!」と激励され時代の最先端をいく部署に配属されたが、社員Bさんは「わが社の歴史を刻んでくれ!」と激励され社史編纂係となって狭く薄暗く、少し寒そうな部屋で途方に暮れる。
Aさんがこれまでの人類史のぼう大な進歩という巨大なガンダムのなかに乗りこんで最先端の技術を武器に新たな課題との格闘をする一方で、人類史という海の中でクリオネほどの歴史をもった企業の誰のためのなんのためのものかも不明な社史編纂に取り組むBさん。
どちらも生産は生産だ。
しかし生産されるものの重要性や期待度が違う。
生産に必要なスキルや頭脳の使用範囲が違う。
よって給料も違う。きっと流される汗の色も違うだろう。


最先端の技術・智慧を一点に集約して産み出される製品は誰の目にも神秘を宿した未来の到来に映る。そこには生活を輝かせる可能性が多分に含まれていて、すこぶる魅力的だ。
しかし一方で社史――会社の役員がどう変遷したかとか、いつどの企業と仲良くなったとか、いつごろその企業をちゃっかり吸収したったとか、自社製品が獲得した賞がどれだけ光栄なものか、とかを年代順に記録したものなのだろうか――は誰の目にどんな風に映るのだろうか。
そもそも誰かの目に入るのか?社史をみるととりみだすほどの社史マニアは一体日本に何人いるだろう?社史をひもとかずに会社を去る社員のいかに多いことか?社史編纂にかけた時間と見返りとのバランスは背筋も凍るようなものではないか?
社史編纂と言う仕事は、「いつかこの社史が裁判官に無罪判決を出させるかもしれない」とか、「働き次第で人生の記録を社史のなかに永遠に残すことができるかもしれないという栄光の約束で社員たちのモチベーション向上の小さな後押しを請け負っているのだ」とか、そんな純粋なやりがいを見つけて、それを一切の疑念もなく心の底から信じきることができる社員にだけ務まる仕事、なのだろうか?本になった社史は、薄暗い書庫にうずたかく積まれた書類の一層をなす運命から逃れられないのか?それは有意義な生産活動といえるのか?


ある。たとえ小さな会社の短い歴史をつづる行為にだって生産の余地は、ある。
新しい社史編纂の方法を産み出すことだ。社史にこれまでにない価値を付加することだ。
映画を作ろう。会社を巣だった元・社員の何人かにインタビューをし、社史における金字塔とよべるような出来事にまつわるエピソードを複数の主観的な観点からとらえなおすのだ。そこそこのハードルを乗り越えた話ならば脚色してワールドレコードものの高さのハードルだったことにするんだ。それを乗り越えた先人たちの熱い奇蹟の物語を産み出すのだ。主演は渡辺謙にしよう。体も引き締まってダンディな40代後半を演じてくれよう…。


社史編纂係から脚本家への大転身だ!「昼はリーマン、夜はヒーロー」も目じゃない、「一日中ずっと脚本家ですけど?」だ!あるありふれた一企業の少し落ちぶれた社員から映画脚本家へとジャンプする物語…もはやこれが映画のようだ。社史編纂を社史編纂にとどまらせないアイデアは個人の小さな頭脳から産み出され、それはやがて海を越えて大陸のレッドカーペットを歩かせるだろう。ハリウッドでのリメイクも夢じゃない…。

記録―。
その記録を目にした人間に、なにかしらの有用な変化をもたらしてこそそれは有意義な生産となる。いま私にできることは、文章にして今自分がいる状況を記録しておくことだけのように思われる。その記録が自分も含めた誰かしらになにかしら意味のあるものを与えることができる記録でありますように。

2011年7月29日金曜日

本居宣長と家人たち

国学者・本居宣長は熱心な研究家であり、国学の分野において数多くの重大な真理を発見し、研究史にその名を刻むところ大きく、その輝かしい功績は日本国学史のみならず日本の歴史上でも偉大な業績を讃えられるべき稀代のスターである。

いわば「研究のムシ」であった本居宣長は、その一日の大半を採光と通風のための窓をひとつ開けただけの小さく質素な書斎での研究に費やしたと言われており、宣長と家人たちはその書斎を新世紀のラブソングの間という愛称で呼びならわしていた。

当時のまま保存してある新世紀のラブソングの間は現在一般公開されていて、見学可能である。一見こじんまりとした書斎のようにみえるが、それは採光窓の開けた南向きの壁を除いた残る三方向の壁に背をもたれかけさせるように巨大な本棚が置かれているからである。その木製の巨大ではあるが質素な宣長の手作りの本棚は当時収めていた本をすべて吐き出して現在は空っぽである。宣長が存命の間はその本棚すべてにぎっしりと本が並べられていたことを想像させるかのように、本棚の板はなめらかに、しっかりと凹んでおり、本とスピーカーの重みを支え続けた勲章を誇っている。宣長の研究資料とスピーカーは現在、本居宣長記念館(三重県)に保存されている。

その小さな書斎が新世紀のラブソングの間と呼ばれた由縁は、宣長が一日の大半を費やした研究による疲労感と緊張感にひとときの涼風を通して気分転換をする際にASIAN KUNG-FU GENERATIONの新世紀のラブソングを聴くのを常としていたからである。新世紀のラブソングの調べは和式音楽再生機につないだスピーカーからあふれ出し、あふれ出しすぎてその書斎の戸の隙間から音漏れし、そこまでアジカンファンという訳ではなかった家人たちに「あの人また新世紀のラブソング聴いとるわ」と言わしめたという。

また、宣長は研究に行き詰ると新世紀のラブソングではなくリライトを聴き、手詰まりでどうしようもなく投げやりになって塞いだ気持ちを半ば無理やりにでも奮い立たせることがあったという。家人たちは、宣長のスピーカーからあふれ出るリライトが新世紀のラブソングの間から音漏れしてきたのを耳にすると、決まって気が引き締まった。まず初めにリライトの旋律を耳にしたものは、まだ宣長がリライトをかけていること(すなわち宣長がヤケをおこしていること)に気づいていない他の家人たちに素早くそのことを報告し、すべての家人にそのこと(宣長がヤケをおこしていること)を知り渡らせる。各人は素早くその状況(宣長がヤケをおこしていること)を把握すると、いつも以上に念入りに各人に割り当てられた仕事をこなしていく。そうすることで、いつもよりもヤケをおこしてハイになっている宣長が少しでもいつもより整った環境で研究に没頭できるようにするのだ。ヤケにハイな宣長は非常にやっかいであるので、家人たちの仕事にはいつも以上に熱が入った。

その中でも他のどの役目よりも重要な役目とされているのが、料理である。宣長はいわば「研究と美食のムシ」であった。運悪くも料理当番にあたった家人は、いつもよりも数皿多めにおかずをこしらえなければならず、しかも、料理当番になる3日前くらいから練りに練っていた、家屋の側のネズミ反しを取りつけた蔵に収められている食材で作ることのできる自信の献立にきっぱり諦めをつけ、宣長の好きなおかずを中心とした献立をその日の夕飯までに考え直さなければならなかった。蔵に宣長好みの料理のための野菜が無い時には、いきつけの農家に頭を下げて無理を通してもらうといったこともしょっちゅうだった。代表的な宣長の好物はロールキャベツ(のようなもの)とされており、それはとても手間のかかる料理の一つであった。

しかし、それもこれも宣長が研究史に輝かしい名を刻むため、国学の発展という名誉ある事業に貢献するためであり、そのためにかかる労力を惜しむ家人は誰一人としていなかった。家人はリライトをかけ始めたときの宣長がいかに巨大な迷宮のなかに孤独に立ちすくんでいるのか、そしてそれが宣長の精神にどれだけ重圧と痛みをかけているのかを、多からず知っているという自負を各人が持っていた。また、「うわ~リライトかよ…宣長さん最近しょっちゅうリライトかけてんぞ…うわっ!しかもおれ今日料理番だよ~!!!なにもよりによってこんな日にリライトしないでいいじゃん…」などと愚痴をこぼす家人が一人もいなかったのは、彼らもまたロールキャベツ(のようなもの)が大好物であったからであろう。

 当時、ローツキャベツ(のようなもの)は「ひむがしの華の都」江戸でも滅多に味わうことのできない贅沢極まりない料理であった。家人たちが半ば宣長のためという名目の下で自分たちの楽しみのためにロールキャベツ(のようなもの)を作っている節があったが、それもしょうがないことだろう。(当時のロールキャベツ(のようなもの)は、今で言うイベリコ豚の生ハムメロンにあたる。食べたことないでしょう?筆者もない。おこぼれにでもあずかってみたいものである。)宣長の研究が過去にないくらい行き詰ったあるときには、3日3晩リライトが新世紀のラブソングの間から音漏れしていた時があったといい、その時には3日3晩食卓にロールキャベツ(のようなもの)が並んだという。日本一のロールキャベツ(のようなもの)好きの宣長も3日目の夜には「またこれかよ!さすがに飽きたよ!」とふすまを開けるなり視界に飛び込んできた食卓の上の湯気を立てているロールキャベツ(のようなもの)にたいして鋭くつっこみを入れたという。その名刀のように鋭いツッコミを聞いた家人たちは「確かに飽きてきた」と皆、思ったという。しかしロールキャベツ(のようなもの)に目がない宣長はそう言いながらもすぐさま席について異例の速さで平らげてしまったらしい。そして次の日からしばらくは新世紀のラブソングが和式音楽再生機のターン・テーブルから動かなかったという。

宣長家の人間は皆一様にロールキャベツ(のごとしもの)が大好物であったので、必然的にリライトが大好きであった。イントロの時点ですでによだれが口の中で氾濫していたほどで、身体ごとリライトに反応していたといっても過言ではない。もはや反射の域である。家人のなかには「唾液分泌腺がリライトのリズムでダンスする(唾液を分泌する)ぜ」というセリフを大変好んで率先して口走ったものもいるという。彼らはアジカンはそれほど好きではなかったが、リライトは好きであった。それほどまでにロールキャベツ(的なもの)は人を惹きつける料理であった。ロールキャベツ(みたいなヴァンパイア)に必要な材料も高価であり、それを調達するための資金を稼いでくれる宣長のことを家人たちは皆心の底から尊敬し、誇りに思っていた。宣長とその家人たち、この両者が築いていた関係は相互扶助の見本のごときものであり、国学の発展は宣長一人の手による産物なのではなく、宣長家一丸となって産み出したものなのだ、と今筆者は臆することなく言えるのである。

この話を聞くとあなたは3日以内にどうしようもなくリライトが聞きたくなり、ロールキャベツが食べたくなるでしょう。

(※フィクション)

2011年7月27日水曜日

ピーマン

すでに朝の7時か。

今日は午後4時前に起きだして、それから朝ごはん作ろうと思った。

おれ、料理のレパートリーって言ったら炒めるの一点張りしかなくて。

でも油でこてこてにした野菜とか豚肉とかは朝から食いたくなかったわけ。

お腹の調子もそれに賛成ってかんじやった。

で、じゃあどうしよう。

サッパリしたもので炒めものじゃないと言ったら・・・

色々とインターネットでレシピを探してみた結果、茹でてみることにしました。

油もなくて、なんだかとってもヘルシーそうだなと思い、茹でてみる事にしたんですね。


水が沸騰してから投入する野菜と、水の状態から投入して沸騰したら取りだす野菜の二種類があるんですね。

冷蔵庫に入ってた野菜の種類は、もやし、マンピー、キャベツ、ナスだったのね。

で、ネットいわくナスはいろいろとめんどくさいらしいというので、ナスはおあづけ。

夕飯にでもたっぷりの油でジャージャー炒めたるからそれまでまっとけということで冷蔵庫にボン。

で、もやしは水のときから投入するタイプの野菜みたいで。

キャベツとピマーンは沸騰してから前者が1分、後者が30秒サッと茹でたならばOKということだったので、

もやしとともに水を火にかけて、沸騰したらキャベツをいれ、30秒経過したらピー@ンを入れようと言うことに決めまして、いざ実行。

手際良いことこの上なしですべてを茹で終えて、さて、キムチでも追加してごはんと食おうかと思っていると、鍋にたっぷり沸騰させたお湯がもったいないな、と気になり始めましてですね。

あれだけの時間火にかけたその熱量とかガス料金とかこまごましたことがどうも気になり始めまして。

野菜のアクがたっぷり浮いているのであろう(でも透明でしたけど)それを何か再利用したいと思いまして。パスタをつくることにして、パスタを茹でました。

このとき、ぼくはパスタを茹でるにはこころもとないサイズの鍋を使っているので、パスタは半分に折ってから投入するのが俺流です。中日ドラゴンズです。

茹であがったのを皿と言うか器に盛りまして、さきほどのあほみたいに山盛り茹でた野菜でパスタが見えなくなるほど盛りつけまして。

トマトと市販のタラコソースとノリをかけましたら出来上がりです。


これが今日の朝ごはんでした。朝ごはんの話だけで今日はブログ終りということにさせていただきます。今、歯、磨いてるんでね。


おいしかったです。