2011年9月26日月曜日

三千院コンサートのすべて

昨日三千院、今日老人ホームで、演奏してきた。


三千院コンサートはいかにして開かれるか??
それをここに記しておきます。

特に、三千院コンサートを司る次期ボランティア係に任命されたStone=Ricefieldには良く読んでおいてもらいたい。



すべての始まりは、スケジューリングから…なのだが、
その前に、これまで三千院コンサートに関わってきた自分なりの三千院コンサートの全体像を述べておく。

三千院コンサートとは、京都の山深くにある三千院で営んでいる料亭(旅館?)の方々が開いている屋外コンサートである。有料である。(雨天室内。)
1日2ステージ。基本的には第一部が13:00~、第2部が14:30~、それぞれ30分程度演奏する。
恵まれた豊かな自然を上手に活かした、観光客を喜ばせる手段としての音楽コンサートだ。

客席。奥の巨大な日傘の下がステージ。


「海の見える街」を弾く自分
よって三千院コンサートは、音楽やコンサートを主な仕事としているプロの人間が開いているコンサートではない。

従って、曲に関するなんやかやについては、ギタークラブの人間が自分たちでしっかり管理しなければならない。
コンサート前であれば選曲。
三千院の雰囲気にあった曲を選ぶべし。
それでいて曲のバランスも考えよう。
30分のコンサート中ずっとしっとり系ばかりでは飽きてしまうので。
具体的に言うと昨日のコンサートでは7曲中2曲は明るいアップテンポの曲だった。
しっとりのなかにも陽気さ。クラシックの中にもフラメンコ。
上手な曲構成のバランスでコンサート主催者も上機嫌だ。

コンサート当日であればステージ管理もギタークラブの仕事。
イスの位置や、マイクの位置などはすべて自分たちで整える。
マイクなどの機材はちゃんとしたものを出してくれるので、必要であれば尋ねよう。

コンサートの進行もギタークラブが決める。
曲順はどうで、曲紹介はどんなことを言って、どんな宣伝をして…というのを事前に組み立てるのもギタークラブに一任である。
コンサート進行に、MCさんとの協力は不可欠である。

MCさんとは?

ギタークラブのコンサートにだけなのかどうなのかはわからないが、
毎回演奏がすべて済んだ後「大原の伝説」を語るコーナーがある。
その語り部を務めるのがMCさんである。
MCさんは謎に包まれている。
僕がMCさんについて知っていることと言えば、
どこかのMC関係の仕事もしくはクラブに参加している人間が、
ギタークラブと同じように主催者に召集されてやってきているということだけである。
お昼御飯は謎のMCさんと同じ机を囲む。
そんなMCさんなのだが、積極的にコンサート進行を手伝ってくれようとする。
なのでそこはMCさんの好意に甘えて、司会進行を請け負ってもらおう。

三千院コンサートはMCさんのコンサート会場についての紹介から始まる。
ここはお寺のなんていう室で、どんな歴史がある、という風な。
それから本日の演奏者ギタークラブの紹介。
それが一通り済んだら演奏。
演奏も済んだら告知と「今一度拍手を!」が入り、
「大原の伝説」コーナーで締めくくる。

僕がMCさんに頼んで言ってもらったことは二つあって、
一つは曲紹介。
アンサンブルごとに作ってもらった短いMCを集めてMCさんに手渡しし、
それを演奏者入場のタイミングで毎回読みあげてもらう。あと演奏者の名前と。
もう一つは告知。
これはコンサートが夏~秋にあるので定期演奏会の告知をしてもらう。
日時・場所など。

僕たちが来る日も来る日もギターの練習をしているように、
MCさんは発声練習を欠かさない。
MCさんはその道のプロを目指している。
MCさんは優しい人が多い。
MCさんを上手に使ってコンサートを盛り上げてもらおう。


以上のことを管理しておけば大丈夫…だが、
想定外の事件が起きるかもしれないし、
コンサートを良くするための未知のアイデアが浮かぶかもしれない。是非想像力を働かせて色々と考えてほしい。


初めに全体像を記すと言っておきながらいつのまにかかなり詳細に実際の仕事の手順を書いてしまっているけど・・・このまま続けさせてもらう


そう。すべては指揮者のスケジュール調整から始まる。
定期演奏会を見据えたおおまかな日程計画は6月頃には指揮者の中で決定されている(多分)。練習日はいつで、合宿がこの1週間、リハーサルの日はこれとこれ…などなど。
それが決まってから、
「こことここの日曜日と、こことここの土曜日は三千院コンサートにアンサンブルを出せそうだな…」という風に希望日が決められる。
その希望日を主催者にメールする。


…数日してから…
(三千院コンサートは一か月に何度も開かれており、
日によって出演する団体が変わる。
各団体からの希望日を総合して日程は決定される。)

主催者側からメールが届く。
「8月14日の日曜日、28日の日曜日、9月17日の土曜日でお願いします。」
という簡単なものだ。
メールを1往復するだけで、本当に簡単に日程は決定される。
簡単だけれど現実にスケジュールは組まれ、ギタークラブが演奏するための様々な準備がとり行われる。
責任重大だ。


日程が決まった。
次は出演者を集めよう。
1週間前に声をかけて集まればそれをミラクルと呼ぶ。

1か月前、
いや2か月前、
いやいや、
今すぐに始めるのだ!!!!

「三千院に出られるような曲を練習しといてくれ」

これを折りに触れて言いまくるのだ。
ボランティア係になるということはすなわち「調子はどう?」の挨拶を捨てて、
「三千院の曲練習、なんかやってる?」を挨拶にするということを意味している。


1週間前になってやっと声をかけると言うのはギャンブルだ。
魚が生息しているかどうか不明の近所の池と、
針と糸だけ頼りに、

「腹が減ってもあそこに釣りに行けばダイジョーブ!!」

そんな命がけのギャンブルだ…。
そんなギャンブルをしていた愚かな奴を知っている。
僕だッ!!
気をつけろっ!!
人数が集まるまでひたすら気を病みつづけるはめになるぞっ!!

恐怖とは

練習が終わったあと、
「三千院コンサートあるので、誰か出てくれませんかね…」と言ったあとの沈黙…
次におまえがいうセリフは決まっている「…ハハハ(半渇きの笑い)…じゃあ、誰か出たいと言う人がいたらメールするなりしてください…」
次の行動も決まっている「…なあ、おまえ出てくれへん?」と1人1人攻めにかかるものの、返答も決まっている「いやあ…弾ける曲ないし、ごめん、……次は出たい!!」

…このQ⇒Aを片っ端から繰り返した後に残るものは傷つき果てたこころ、近づく期限、主催者からの督促のメール(恐怖郵便)のみ





これで今から徐々に参加希望者を集めていくことの大切さに少しでも気づいてもらえたと思う。
出演者が集まったら、主催者にメールを送る。
…あ、、出演者の決定方法は、

・曲の合計時間が30分程度になるように。
・アンサンブル人数は多くて4人。
・選曲のバランス大切。

これを考慮して決めてくれ。


主催者に送るメールには、
・曲名、演奏者、演奏時間
を載せる。
書いた順番でパンフレットが作成されるので、メールを送る時点で曲順はある程度決めておくように。けれどそこまでパンフレットに拘束力はないので、当日実際弾いてみた様子を見て第2部で曲順を変えるなども柔軟にやってほしい。
あと、ビジネスメールで!!おれもまだよくわかってないけど!!ビジネスメールで!!



よーし。それではいよいよ当日どのように事が運ぶのか、それについて書いていく。

当日は地下鉄国際会館駅に、基本的には11:00に集合。
特に返事もなければそれで大丈夫。不安であれば電話番号を教えるから、そこにかけてほしい。
スーツ姿で。
国際会館駅 3番出口
夏~秋にかけて参加するし、当日は野外で待機することが多いと思う。
服装は有る程度のフォーマルさが認められたらOKだから、気候に合わせて融通を効かせよう。

国際会館駅の確か3番出口だったと思うが、天国のようなエレベーターを昇ると
同志社中学のグラウンドが見える出口に出る。
そうすると反対側の歩道に寄せてバスが止められているので、それに乗りこもう。

ギターは、参加人数が少なければバス車内に持ち込める。
しかし、昨日のように10名の参加者となると、10本のギターを持ちこまなければならない。
バスは三千院に向かう一般のお客様と乗り合わせだから、それだととても窮屈になる。

昨日はもう一台送迎用のワゴンで迎えに来てくれたからなんとかなった。

実は、その前日に電話で「10名いけますか」と確認した時に、
「きついからギターは4本にしてくれ」、と言われていた。
でも普段使っているマイギターでないとMAXの演奏ができないと思われたので、
「膝の上に抱いたらなんとか行けます」、と無茶を押し通してもらっていた。

それで当日行ってみたら強面のお兄さんが(それでいて性格の優しいとってもいいお兄さん)
「イヤ、そんなの無理や。10本なんて乗るはずがない。もう一台用意したからそっちに載せてくれ。」
そんな風に言われたのだからちぢみあがったものだ。

だから、人数が多くなる時は電話で事前にそのことを伝えておこう。
そして、ワゴンを出してもらえるように説得してくれ。ここはがんばって。



さあ、三千院に向けて出発!!!



……


よし、三千院に到着!!!






控室に案内してもらったら荷物を置いて、MCさんに挨拶し、練習しよう。
MCさんと打ち合わせ。各アンサンブルからMCを集めよう。

ここで、定期演奏会の告知をしてほしいということを伝える。


やっぱりMCさんに言ってもらうだけでは効果も少ないので、
編集さんにチラシを作ってもらってお客さんの手に渡るように手配しよう。
主催者の方にチラシを渡したいと伝えれば、パンフレットと一緒にしてくれるので、それでいいでしょう。



13:00までにマイク調整等ステージ整備をすすめておいて…
いざ尋常に、開始!!


終わったらステージに並んで、一礼なりなんなりで、感謝の意を伝えよう…。





こんなかんじです。

ウマシ糧


ボランティア係は積極的に三千院コンサートに行くようにした方がいい。
行ってみないとわからないことだらけだし、
主催者と連絡を取っている人間がいたほうが何かといいし…。
弁当もうまいし。
メシ食う人々







以上です。
がんばれ!!ボランティア係!!はばたけ!!

2011年9月16日金曜日

焦げめが美味しいチーズグラタン

(この歌をBGMにして読んだらそれほど退屈しなくて済むと思います。)




本題
「郷愁のビッグベンワイヤーフレーム」
これはシャーマンキングでルドゼブが出てきた頃、何話目かの題名です。


郷愁という言葉はここで覚えました。
「図星」という言葉も同じくシャーマンキングで覚えました。


香川県での合宿が終わった次の日の朝から京都を発ち、三重県の実家に里帰りしていました。


2日間の短い帰省です。


いつもの友達と遊ぶだけのいつもどおりの帰省でした。




友達は大学でも陸上を続けています。
帰郷した2日間の両日ともに、クラブがあるせいで午後からしか遊べないということでした。


そうなると必然的に遊ぶまでの午前中、遊び終わってからの夜、ヒマになるわけです。


家でごろごろしていました。
マンガを読んだり、録画してあった番組を適当に見たりしてました。


それも疲れてきたら自転車に乗ってそこらじゅうをサイクリングです。


僕が実家の周辺をサイクリングするとき、大抵回る場所は決まっています。
実家から南西の方角の街並みが好きなので、いつもそちらの方向へ向かいます。


鈴鹿山脈におちていく太陽での夕焼けが好きなんです。
太陽が落ちていく方向に向かって自転車を走らせるんです。
そうすればおのずと顔が落日の方角を向くので、視界の上半分はきれいな夕焼け空・・・。
通っていた小学校の校庭を通ったり、良く遊んだ色々な友達の実家の前を通ったり、当時の自分にとっては未知の世界だった隣町の中学校の前を横切ったりします。


そのときはまだ授業中だったようで、暗い理科室で授業をうける生徒たちの頭が逆光ながらも窓からいくつも見えてました。
彼氏彼女たちの注意をこちらに引き寄せたくなって、大きな声を出してみたい衝動にかられましたが、考えているうちにその理科室を通り過ぎてしまったので諦めました。




この前実家に帰ってから恐らく一か月も経過していない帰省だったのですが、何故か先日の帰省は、故郷を離れてからけっこうな時間が経ったことを強く感じた帰省でした。
あの感覚です。
自分たちが中学生だった頃に幼稚園だった子たちが制服を着て中学の教室に通っているんだ…というやつです。
自分はこれから働き盛りに入っていくんだなあ、と思いました。




自転車を漕ぎながら音楽を聞きます。
曲のチョイスはどうしても昔聞いていた曲ばかりになってしまいます。
たとえばレミオロメンのetherというアルバムを頭から終りまで聞いたりしました。
この曲を聞くと、この情景が思い浮かぶ、という組み合わせって言うのがあると思います。
音楽に引っ張られて浮かび上がるそのどうしようもない記憶の映像に想いを馳せながらサイクリングです。
今になって改めて聞いてみて初めて発見するものなんてのはほんとごくわずかなもので、音楽を聞きながら考える事はそれこそ何百回も繰り返し考えたことばっかりでした。
老人のような楽しみですね。


郷愁は離れた土地から懐かしい故郷を思って切なくなることですが、故郷を思うということは、それまでの時間に起きたたくさんの出来事を思って切なくなることでもあります。
故郷に帰り、いつもと同じような夕焼けのなかを、過ぎ去った時間にいつまでも想いを馳せる、そんな行為を、がっつり楽しんでいる、そんな自分に対して、これでいいのかなっていう思いは消えません。


ふとした瞬間にじわっとしみ出してくる郷愁っていうのが、一番しっかりした郷愁の形なんだとおもいます。
ぼくみたいな郷愁にどっぷりっていうのは、なんかね~~。
メインは現在でなければいけないと思うからです。


なんでこんなに郷愁に焦がれてるんだろって考えてみました。
旅立つ人って言うのはお別れを告げるものですよね。
ぼくが今なんとなくそういう感じなのかもしれません。
学生からの旅立ちってことです。
荷造りをしてるんです。
旅先でいつでも思い出せるように、自分の過去を大切に、強く記憶に残しておこうとしてるんです。




はあ~
一体全体、海外への船出をひかえているような気分です。










この曲はbeatlesのカバーです。
"nothing is gonna change my world"
っていう歌詞をそのまま映像にしたようなPVです。


http://www.nicovideo.jp/watch/sm13305912

これで知りました。

2011年9月15日木曜日