2011年9月16日金曜日

焦げめが美味しいチーズグラタン

(この歌をBGMにして読んだらそれほど退屈しなくて済むと思います。)




本題
「郷愁のビッグベンワイヤーフレーム」
これはシャーマンキングでルドゼブが出てきた頃、何話目かの題名です。


郷愁という言葉はここで覚えました。
「図星」という言葉も同じくシャーマンキングで覚えました。


香川県での合宿が終わった次の日の朝から京都を発ち、三重県の実家に里帰りしていました。


2日間の短い帰省です。


いつもの友達と遊ぶだけのいつもどおりの帰省でした。




友達は大学でも陸上を続けています。
帰郷した2日間の両日ともに、クラブがあるせいで午後からしか遊べないということでした。


そうなると必然的に遊ぶまでの午前中、遊び終わってからの夜、ヒマになるわけです。


家でごろごろしていました。
マンガを読んだり、録画してあった番組を適当に見たりしてました。


それも疲れてきたら自転車に乗ってそこらじゅうをサイクリングです。


僕が実家の周辺をサイクリングするとき、大抵回る場所は決まっています。
実家から南西の方角の街並みが好きなので、いつもそちらの方向へ向かいます。


鈴鹿山脈におちていく太陽での夕焼けが好きなんです。
太陽が落ちていく方向に向かって自転車を走らせるんです。
そうすればおのずと顔が落日の方角を向くので、視界の上半分はきれいな夕焼け空・・・。
通っていた小学校の校庭を通ったり、良く遊んだ色々な友達の実家の前を通ったり、当時の自分にとっては未知の世界だった隣町の中学校の前を横切ったりします。


そのときはまだ授業中だったようで、暗い理科室で授業をうける生徒たちの頭が逆光ながらも窓からいくつも見えてました。
彼氏彼女たちの注意をこちらに引き寄せたくなって、大きな声を出してみたい衝動にかられましたが、考えているうちにその理科室を通り過ぎてしまったので諦めました。




この前実家に帰ってから恐らく一か月も経過していない帰省だったのですが、何故か先日の帰省は、故郷を離れてからけっこうな時間が経ったことを強く感じた帰省でした。
あの感覚です。
自分たちが中学生だった頃に幼稚園だった子たちが制服を着て中学の教室に通っているんだ…というやつです。
自分はこれから働き盛りに入っていくんだなあ、と思いました。




自転車を漕ぎながら音楽を聞きます。
曲のチョイスはどうしても昔聞いていた曲ばかりになってしまいます。
たとえばレミオロメンのetherというアルバムを頭から終りまで聞いたりしました。
この曲を聞くと、この情景が思い浮かぶ、という組み合わせって言うのがあると思います。
音楽に引っ張られて浮かび上がるそのどうしようもない記憶の映像に想いを馳せながらサイクリングです。
今になって改めて聞いてみて初めて発見するものなんてのはほんとごくわずかなもので、音楽を聞きながら考える事はそれこそ何百回も繰り返し考えたことばっかりでした。
老人のような楽しみですね。


郷愁は離れた土地から懐かしい故郷を思って切なくなることですが、故郷を思うということは、それまでの時間に起きたたくさんの出来事を思って切なくなることでもあります。
故郷に帰り、いつもと同じような夕焼けのなかを、過ぎ去った時間にいつまでも想いを馳せる、そんな行為を、がっつり楽しんでいる、そんな自分に対して、これでいいのかなっていう思いは消えません。


ふとした瞬間にじわっとしみ出してくる郷愁っていうのが、一番しっかりした郷愁の形なんだとおもいます。
ぼくみたいな郷愁にどっぷりっていうのは、なんかね~~。
メインは現在でなければいけないと思うからです。


なんでこんなに郷愁に焦がれてるんだろって考えてみました。
旅立つ人って言うのはお別れを告げるものですよね。
ぼくが今なんとなくそういう感じなのかもしれません。
学生からの旅立ちってことです。
荷造りをしてるんです。
旅先でいつでも思い出せるように、自分の過去を大切に、強く記憶に残しておこうとしてるんです。




はあ~
一体全体、海外への船出をひかえているような気分です。










この曲はbeatlesのカバーです。
"nothing is gonna change my world"
っていう歌詞をそのまま映像にしたようなPVです。


http://www.nicovideo.jp/watch/sm13305912

これで知りました。

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